
平成という時代を象徴する名言は、東京都知事・小池百合子の「ライフワークバランス」という言葉である。ワークライフバランスではなく、ワークの前に、ライフ(人生)を配置しているこの言葉を聞き覚えがない人もいるかもしれない。
この「ライフワークバランス」は、小池氏都知事が2016年当選後に語った言葉である。「ライフワークバランス」が名言なのである。小池百合子東京都知事の施策が良いとは言っていないことには留意していただけると幸いである。
この言葉には、3つのポイントがある。仕事に対する姿勢の変化、カタカナ語の日常化、女性の社会進出である。この3つのポイントこそ、平成を語る上で欠かすことができないポイントだ。
【仕事こそ人生?】

まずは仕事に対する姿勢の変化がある。バブルの崩壊、就職氷河期、そして長期の経済低迷の中で働き方は少しずつ変化してきた。頑張れば努力は報われるのは幻想であり、年功序列の社会も崩壊してきた平成の終わり。仕事を念頭に置いた生き方には、否定的な視線が集まっている。いかにして、「自分らしく生きるか」をモットーとして周りの考えに流されず、自分の価値観を持つことが良しとされるようになった。
海外でも過労死が英語として「KAROUSHI」として報道されている。日本人は死ぬほど働く真面目な国民性とみられているのは間違いがない。しかし、真面目が過ぎた故に責任感から逃れられず、過労死を含めた自殺の数が平成20年には32,249人にも昇った。
その後は減少傾向だが、平成28年の段階でも2万人を超えている。そろそろ自由なライフ(人生)を真面目なワーク(仕事)の前に置くのも自然なことである。このような時流に乗っているのが「ライフワークバランス」という言葉であり、名言といえる1つ目の理由である。
【結果にコミット?】

2つ目の理由として挙げられるのが、カタカナ語や略された英語の日常化だ。ダイエット会社の広告で有名になった「結果にコミットする」もそうだが、特にビジネス用語ではカタカナ語や英語が飛び交っている。カタカナ語が理解できないと会話にもついていけなくなってきたのが平成である。
カタカナ語が日本に入りだしたのは明治以降だが、平成に入ってからの氾濫するカタカナ語を日常から排除することはできないだろう。
「この案件にアサインされたので、ASAPで明日のMTG用にアジェンダについて上司のコンセンサスを取っておこう」(訳:この業務に配属されたので、急いで明日の会議のために会議内容について上司に根回ししておこう)
こんなカタカナ語だらけの会話は稀であるが、仕事をしている、もしくはパソコンやスマホを使っていれば何かしらのカタカナ語に出会うようになった。小池都知事などカタカナ語大好き人間として際立っている。ただし、小池都知事なりの考えでカタカナ語をうまく使ったのが「ライフワークバランス」である。この感覚が理解できるかできないかで、平成の時代の波に乗れたかどうかが決まってくるのかもしれない。
【女性が社会に帰ってきた】

最後に「ライフワークバランス」が名言といえる3つ目の理由が、女性の社会進出である。昭和から平成の荒れ狂う社会を表面的に支えてきたのは、男性であった。家庭のことは女性に任せ、社会を動かす全ての責任はまるで男性にあるかのようにしてきた社会がそこにはあった。
しかし、男性が十分に働くためには女性の支えがあったからこそ。女性が自分のことやキャリアを捨て、家庭に入ることを選択してきたから成立してきた社会である。そのような家族形態をもとにした社会構成は、平成に入って変化し始めた。
出生率の低下や女性のキャリアアップ、男性の家事参加などにより、ワーク(仕事)だけを考えては立ちいかない時代となった。仕事のための生活から、生活を中心に据えた仕事の取り組みへとシフトチェンジしたのが、「平成」である。
今や女性の社会進出はとどまることを知らない。ベンチャー企業などを見ても、女性が代表を務める会社はたくさんある。会社のトップだけではない。行政のトップや会社の中核を占める役職、タクシードライバーやトラックドライバーにいたるまで、男性だけが占めてきた社会の中に女性の存在が目立つようになってきた。
いや、実は女性が社会に帰ってきただけの話なのである。
平成の前の時代「昭和」に起きた日中戦争や第二次世界大戦。男が兵隊として徴収され、女性は家庭だけでなく工場などで働くようになった。女性はこの時、明らかに社会に進出し、日本社会を支えていたのである。
しかし、戦争が終わり、男たちが兵隊の役から解放されると、男性の職の獲得のために女性たちは社会から追い出されてしまった。行く先は家庭であった。そこから50年以上の時を超えて、女性たちは社会に帰ってきたのである。
そして、女性のライフイベントを考えれば、生活が仕事の前にあるのは明白だ。妊娠、出産、子育て。女性の身体にまつわることばかりである。それを仕事と両立しながら1人で行うのは困難であることは想像に難くない。
「いや、うちの妻は1人でやってきたぞ」という男性は気がついていないだけである。子どものため、愛する夫のためといって、女性が自身をかなぐり捨てて育児や家事をやってきたことを。地獄の釜のフタを開けるようなものであるから、これは奥さんには聞かずに、そうだったのかと考え直してそっとしておくのが良い。ニーチェの言葉にある通り、「深淵を覗くとき、深淵もこちらを見ている」のだから。
ワークライフバランスではなく、ライフワークバランス

これからの時代、男性の家事や育児の協力は必須である。「仕事シゴト」と仕事のことばかり言っているような男では、三行半が突きつけられてしまう。男性もワークライフバランスから、ライフワークバランスへ移行せざるを得なかったのが、平成という時代なのである。
仕事の前に人生があり、それがことさらに考えられるようになった時代「平成」。その平成を象徴する名言が「ライフワークバランス」であり、これからの令和という時代を生き抜くために必要な考え方である。
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